設立15年目を迎えて1 (師父の遺した言葉)

 

ふと気付いたら、当会も設立から15年目に突入していた。

 

何か節目のイベントでもと思うが、ここのところ私も会員達も忙しく、実現できそうもないので、代わりに私がもっとも根幹的な技術を学んだN師父の言葉を伝えたいと思う。

 

というのも、N師父は昨年亡くなられたようである。

 

ようであるというのは、今年(2017年)になって、その事を知ったからである。

 

全くを持って不精の弟子で申し訳ないのだが、師父は数年前から施設に入居され、その後も入退院を繰り返されていたので、なかなかお会いする機会が無かった。

 

確か最後にお会いしたのは、4年前だったと思うが、その時も随分と小さくなられていたし、あまり自分が弱っていく姿を見せたくないようだった。

 

遠慮せずに頻繁に会いに行っていればと思うが、結果としては、それが最後となってしまった。

 

もう、あの姿を見る事ができないのは、やはり寂しいものだ。

 

何もできないが、今後もN師父の遺した武術を更に深めていく事が、せめてもの供養のように思う。

 

師父の動き

私がN師父に学んだのは1997年から、師父が70歳で指導を引退される2007年までである。

 

見習いの練習生として一年半、正式な入門弟子としての八年半の計10年間を共に過ごさせて頂いた。

 

正確な生年月日は教えて頂いていないが、確か長嶋監督と同学年と仰っていた記憶があるので、享年で80歳か81歳という事になる。

 

私が学んだのは、60代から70代という事になると思うが、とにかく緩急のつけ方が素晴らしかった。こちらが気を抜くとパッと入ってくるし、こちらが集中していると、すっと気を抜かされる。所謂、間の取り方が絶妙だった。

 

また瞬間的な攻防の転換や連撃もとにかく速かった。言い方は悪いが猿のようであった。

 

それも不思議なもので、傍で見ていると、大して速くないのだが、向かい合うと速いのである。

 

私も中国武術をやっている人を多く見てきたが、ああいう動きができる方は、他に見た事がない。やはり世代が違うのだと思う。

 

師父の遺した言葉

では、実際に師父の遺した言葉を列挙してみよう。

 

生前、師父は公言を禁じていたし、本来なら限られた門弟のみで共有すべきだが、特別に一部を公開するので、参考にして頂きたい。

 

師父の言葉は、難解な中国語を用いたものではなく。どれもシンプルで、必ず動作を伴ったものだった。

 

言われると、「あぁ、なるほど。」と思うのだが、実際にそれが理解できるのは、同じ感覚を得て、それが出来るようになってからである。

 

言葉だけを理解しても、何の意味もない。」とは、まさに師父の言葉である。

 

站樁について

「全身を空洞にして、一本にして立つ。」

「姿勢が決まったら、あれこれ考えない。無心で立つ。」

 

站樁については、私は何度も、これがどういう意味があるのですかと聞いた。

 

師父は、「やっていれば、分かる。やり続ければ分かる。」と答える事が多かったが、一度だけ「これをやり続ける事で、骨格ができる。」と答えて下さった事がある。

 

おそらく武術の動きをするための骨格という事だと思う。そして「これから全ての動きが生まれる。」とも仰っていた。

 

20年以上経った今では、なるほど確かにその通りだと実感できる。

 

歩法について

基本の定歩の歩法については、よく潮の満ち引きを例に出して説明しておられた。また船の櫂を漕ぐ動作、漕ぎ手の話もされていた。

 

「これをしておかないと、全身がつながらないよ。」とも。

 

おそらく、単に足を鍛えているのではないよという意味だろう。

 

活歩の転換に関しては、「軸を立てて、一瞬で軸を消す。」と仰っていた。

 

基本功について

「基本功は力の出し方を学ぶ。上下や前後に力が出せないと、どうにもならない。」

 

「皆、形(套路)を学びたがるが、基本功をやらないと、武術の力が出せない。」

 

ここでいう力とは、単なる力ではなく、練功による力の事である。よく太極拳では勁という言葉が使われるが、師父は勁という言葉は、あまり使われなかった。

 

代わりに練功による力とか、武術の力とか、クンリー(功力?)という表現を使われていた。

 

対練について

対練においては「相手の力を逸らすのではなく、相手の力の中に入る。」とよく仰っていた。

 

また功夫ができれば、触れれば相手が崩れるとも。

 

推手においては、「太極拳は攻防の転換が一番大事。」そして、そこから間髪入れずに反撃する。

 

「狐にはなるなよ。」

正確には「虎の威を借る狐。」の事だろう。

 

自分の学んでいる門派が素晴らしいとか、自分の先生がすごいとかではなく、自分自身が使える人間になれという事。

 

自分ができないのに、門派や先生の事を語る人間は恥ずかしいと仰っていた。

 

壁について

「何事においても同じだが、長く続けていると、必ず壁というものに突き当たる。武術を学んでいれば、後輩に追いつかれたり、生徒に技が掛からないといった事があるだろう。」

 

「そこをごまかして逃げる人間が多いが、その時が自分が変わるチャンスだ。言い換えれば、そこで初めて真剣に取り組む事ができる。壁を乗り越える事で初めて上達していく。」

 

「自分一人で練習しているうちは気付けないが、対練を通して自分自身を知る事ができる。技が掛からなければ、本気で研究する。そうすれば道が開ける。」

 

年齢について

「若いうちは力があるので、力を抜けと言われても、なかなか力が抜けないものだ。しかし、年を取ってくると力が無くなってくるので、力を使わないで技を掛ける事を考えなければいけない。」

 

「若いうちは力で技を掛けてもいいが、年齢と共に技術を養っていかなければならない。そうしないと、年を取ってからが使い物にならない。」

 

師父の最後の言葉

「私が一番上達したのは60代だろう。君が入門してきたおかげで、お前さんを使って随分と技の研究をした。君は力が強かったし、気も強かったからね。君を相手にしているうちに、こちらも熱くなった。」

 

「技が上手くかからなかった時は、一晩中研究した。次に君が来るまでに対応策を考えていた。」

 

「そうだったんですか!?」と私。

 

「そうだよ。だから途中から私の技が変わって行っただろう。君が入門してきた頃は、まだ速さや歩法に頼っていた。しかし、速さや歩法は年を取ってくると衰えてくる。だから柔らかい技を研究した。君にいかに力を出させないで、封じるかを考えていた。」

 

「ほら、こうすると力が出せないだろう?」

 

この時に掛けて頂いた技の感覚が、最後の師父の感覚となった。

 

「どんな達人でも考える事をやめてしまっては、そこで終わりだろう。君が来たおかげで、考える事もできたし、それを実践する事もできた。」

 

「私が上達できたのは君のおかげだ。ありがとう。」

 

これがN師父の最後の言葉である。

 

この時の技の感覚と言葉を糧に今後とも師父の背中を追いかけていきたいと思う。

 

合掌

 

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